権威ある律法学者 マタイ7:28-29
(修養会のようだと言われた台所)
私は28歳の時に神学校を卒業して牧師になりました。赴任したのは、紀伊半島南端の人口(当時)2万人くらいの町、和歌山県の那智勝浦町にある連合の教会です。そして那智勝浦町の隣には人口(当時)3万5千人くらいの新宮市があって、連合の教会もあるのですが、別のプロテスタント教会があって、そこの牧師先生が私たちの牧師館に遊びに来てくれたことがありました。
私も似たようなことは少ししますが、妻は私以上に、流し台の目に付くところ、あとは冷蔵庫のドアなどでしょうか、ふだんから心に留めておきたい聖書のことばを紙に書いて貼り付けておくことをしています。自分はそれほどしないけれど、自分を信仰に導いてくれた恩師や先輩がそうだったと思い起こせる方もいるでしょう。妻も気負いなく、生活のなかで聖句が目に入るような工夫をあのころもしていました。
そのとき牧師館に遊びに来てくれた先生は、私より20歳以上は先輩で、牧師としても脂がのりきっておられたと思います。その先生が仕えておられる教会は、新宮市内でもっとも歴史のある教会。カルヴァン主義の信仰を大切にするグループの教職で、間違いなく霊的な器であったと思います。
ところがそのとき、その先生から少し皮肉交じりに「まるで修養会に来ているようです」みたいなことを言われました。お札を貼るみたいに聖句を所狭しと貼り付けているわけではありません。私の妻のことですからセンスもあるのです。聖句をそのように飾り掲げるのは、バプテスト教会連合もそうですが、福音派の流れの教会で育つと、身につきやすい習慣です。しかし同じプロテスタントでも、聖書のことば(聖句)をそのようには用いない文化の教会があるということを、そのとき改めて知ったのです。
私たちの信仰にとっても聖書は大事なのです。そして聖書のひとつひとつの言葉を、あの時代の、あの場所で、あのような状況で語られたからとこうなのだと読むだけではなく、それゆえにこの聖句はどの時代のどんな場所や状況でも意味を持った言葉として読んだり用いたりする。私たちの教会は、そういう流れと文化の信仰なのだと思います。
(聖書をめくりながら手紙を書く)
もうひとつ、紹介したいエピソードがあります。私はクリスチャンホームでない家庭出身で、高校生時代に福音を信じて救われました。そして私の中学・高校の五年ほど上の先輩でMさんという方がいました。男性です。彼もクリスチャンホームではなく、大学時代にキリストに対する信仰が与えられました。
Mさんと私は田舎に帰省すると顔を合わせる友人になりました。そしてMさんと私にはそれぞれ妹がいました。私の妹は私より三歳下です。Mさんよりけっこう離れていますが、妹の一学年下の妹がMさんにはいたのです。クリスチャンホームではない家庭でクリスチャンになった兄を持つ二人の妹が、ある時、キリストにかぶれた兄についての分ち合いをしました。
すると共通した生態があることが分かりました。手紙を書くときに聖書を側に置く。聖書をぱらぱらとめくりながら、その手紙に引用する聖書のことばをさがすのです。そしてよい聖句が見つかるとニヤニヤしながら手紙を書いている、というのです。いまから40年くらい前ですからスマホもメールもないころです。私のような字の汚い者もクリスチャンになると信仰の励ましや交わりのために手紙を書いていました。
それがクリスチャンではない妹の目から見ると、なんだか分からないけれど聖書をぱらぱらめくりながら目当ての聖句といいますか、ぴったりくる聖句が見つかると、嬉々として便箋に書き写す「キリスト教徒」になった兄の生態という話です。
私も最近Lineとかメールで聖句を記すことがあります。特に相手がまだ信仰を持っておられない方だと少しでもキリストへの信仰に心を向けてほしいとぴったりくる聖句を添えようと今もしています。これも自分たちにとっては良い習慣なのだと思います。
もちろん、そういうふうに手紙などに聖句を添えないからといって、その人の信仰が駄目だというわけではありません。聖句の直接引用はなくても、聖霊と祈りに導かれてキリストの愛が滲んだり溢れたりするような手紙は書けるものだと思います。愛は形式にとらわれず、また逆にその愛にふさわしい形式を持つのです。
(権威ある者、イエス)
さて、本日、なぜ私めは、こんな昔話を二つもしたのでしょうか。今日の聖書箇所は、山上の説教の締めの箇所です。先ほども読んだことばです。28節〈イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた〉。
主イエスの教え(説教)は人々を驚かせることが多かったようです。他の箇所を見ると、まず教えの内容に驚嘆することがあったようです(マタイ22:33、マルコ11:18)。それから、教えを聞くことで主イエスに知恵があることに驚嘆し、関連で奇跡を行なうことにも驚きました(マタイ13:54、マルコ6:2)。
しかし今日の箇所では、次のような理由でした。29節〈イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである〉。
この現象は、特別、山上の説教がすごい説教だったからではないようです。なぜならマルコ1章の場面では同じ反応が起こっています。1:21-22〈それから、一行はカペナウムに入った。イエスはさっそく、安息日に会堂に入って教えられた。1:22 人々はその教えに驚いた。イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである〉。マルコ1:22は、本日の箇所とほぼ同じことばです。
〈イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられた〉。これは何を意味するでありましょうか。
まず〈権威ある者として〉とか〈権威ある者のように〉(第3版)と訳されていることばについて考えます。ルカ4:32には、マルコと同じ文脈で〈人々はその教えに驚いた。そのことばに権威があったからである〉とまとめたような言い方がされています。主イエスの説教(ことば)には、それが町の会堂でなされたものであれ、山上でなされたものであれ、人々の心にそう感じさせる権威があったに違いありません。
しかしマルコ1:22やマタイ7:29の書き方は、ことばに権威があったというのではなく、ことばを語ったイエスが〈権威ある者〉のようだったと書かれているのです。主イエスに伴って権威がもしあったとしたら(存在したとすれば)、それはどんな権威でしょうか。政治的な権威ではありません。学問的な権威でもないでしょう。
それは広い意味では宗教的な権威と言いうるかもしれません。しかしより精度を高めた言い方をすれば、それは神の権威。天地万物を造られた聖なる主、唯一まことの神の権威が、主イエスに伴っていたということです。主イエスに権威があったからこそ、主イエスのことば(説教)にも権威があったのです。
ことばによってもご自身を証しする救い主。主イエスはまさにそれでありました。それも語調や雰囲気だけの権威ではありません。山上の説教を振り返れば、①主イエスはモーセの律法を引きながらその律法を超えるような理解を提示されました(マタイ5:21-22、27-28、31-32、33-34、38-39、43-44)。また②7:21-23を見れば、イエスに対して「主よ、主よ」と呼ぶ人たちが想定され、世の終りの裁きを執行する者としてご自身を描いています。さらに③岩の上に土台を造った人と砂の上に家をそのまま建てた人の違いは、イエスご自身のことばを聞いて行なうか行なわないかの違いでした。ご自分にことばに応答するかどうかが明暗を分けたストーリーでした。
主イエスについていえば、語ったご自身も、語られたことばにも権威がありました。預言者でもあった主イエス(申命記18:18)は、語ったことばは神のことばと言い得たし、イエスご自身が人となられた神のことば(ヨハネ1:14)でもありました。
(福音書記者マタイの思惑)
ついでに言いますと、マルコ福音書が先にあって、マタイ福音書が何らかのかたちでマルコをもとにして書かれました。そのことはほぼ常識です。では、マルコとマタイはどこが違うか。もっと言えば「後発のマタイの特徴は何か」ということです。多くありますが、マタイ福音書には主イエスの説教が多く収録されています。
主イエスは神の国の福音を語り、また十字架で死ぬことで自らの死と復活を福音として示しました。しかしそればかりでなく、聖霊に導かれた教会は、この世界に来てくださった主イエスご自身もまた福音そのものであるという理解をするようになりました。マルコに始まる4つの福音書は、そうした理解のなか、編集し、記されました。
主イエスがどのようにして公の人となったのか。どのように弟子を集め、人々に奉仕し、何を語り、何を行なったのか。どんな奇跡を行ない、どんな論争をし、ガリラヤでの活躍の後、エルサレムに向ったのか。そしてどのようにして逮捕され、不正に裁かれ、十字架の磔刑に至ったのか。また主イエスは死んで葬られ、三日目に父なる神によって復活します。一連の生涯もまた私たちにとって良き知らせ(福音)なのです。
マタイの福音書を書いたマタイは、主イエスが語った説教をもっと遺したいと考えました。最初の読者であるマタイの教会にもその必要があったのでしょう。
マタイの福音書には、この山上の説教を皮切りに大きな説教録が5つあります。マタイ5-7章の山上の説教がいちばん長いのですが、10章では伝道小旅行をする十二弟子たちへの指示。13章では神の国についてのたくさんのたとえ話。18章では教会について。24-25章では、世界の終りについてです。
マタイは、主が語られた教え(説教)をふんだんに含めて、自分の福音書の福音を豊かなものにしました。そのことの自負が、実は文面にも表われています。原語では、Καὶ ἐγένετο ὅτε ἐτέλεσεν ὁ Ἰησοῦς というマタイだけの常套句で、この常套句が5つの説教録の末尾にそれぞれ使われています。〈イエスは…終えた時に…のであった〉(田川訳)と訳せます。もっと丁寧かつ冗漫に〈こうして[次のようなことが]生じた、[すなわち]イエスが~語り終えた時〉(岩波訳)と和訳している聖書もあります。
つまりマタイ福音書は、たまたまではなく意図的に(それなりに張り切って)主の説教を遺していったということになります。そして主イエスの説教に人々が驚嘆したのは、《イエスが律法学者のように他の権威に訴えることをせず、「わたしはあなたがたに言います」といったように自らの権威において語り、しかもご自分の言葉に対する態度によって人の運命が決るとまで語ったからである》と内田和彦は総括しています。
(良い律法学者を目指す)
主が権威ある者であり、権威ある者として、権威ある者のように語られたことを見てきました。しかし最後に私たちはこの主の説教が〈彼らの律法学者たちのようにではなく〉語られたことを見ていきます。
律法学者は、文字通りモーセの律法に代表される旧約聖書の研究者で教師でした。当時の律法学者たちは、聖書の本文には通じていましたが、その解釈には自分の言葉を使わず、先人の律法学者たちの見解を引用するだけでした。ですから当時の律法学者のことばには、まことの権威はなく、人々の心にも届かなかったに違いありません。
しかしそれでよかったというわけではありません。聖書は神の息吹によって生まれた神のことばなのですから、律法学者が「権威なき者」の代名詞となってはならないはずです。最初に述べたように、私たちの教会文化も聖書をそのまま引用して用いる文化です。どうして聖句引用をするかと言えば、『連合通信』262号の編集後記にも書きましたが、主イエスをはじめ使徒たちも聖句引用をしていたことが理由のひとつです。
私たちは聖句を引用するときに、相手を裁いたり貶めたりするためにこれをするのは、厳に慎むべきです。そして律法学者が、主イエスの論敵であったパリサイ人と、ほぼ重なっていたことを思うと、何のための聖句かと言わざるを得ません。しかし律法学者が、イエスに派遣される人のリストに入っている聖句もあるのです(マタイ23:34)。
主イエスによって神の権威をいただき、聖句を引用し、神の栄光を現わす良い律法学者、真に権威ある律法学者は存在するはずなのです。
もう三週間になりますが、8月13日の夜は千葉県に線状降水帯などの豪雨が襲い、私たちの街も危険レベルが最高の5となった時間がありました。同盟教団の大網白里の教会にも浸水被害がありましたが、私たちの連合の真砂教会(千葉市美浜区真砂にあります)が床上60センチもの浸水被害がありました。礼拝堂部分が半地下だったための、建物の構造上の不利は否めませんが、講壇も椅子もテーブルも音響機器も楽器も水に浸かり大半は廃棄、さらにバプテスマ槽から床下に潜った水も抜かなければなりませんでした。しかし真砂教会はその3日後の8月16日、礼拝をしています。おそらくその礼拝でも読んだであろう聖句があります。ミカ書7:8〈私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、【主】が私の光だ〉。あれだけの打撃と危機に遭って、こんな聖句を引ける真砂教会はすばらしいと思いました。
私たちは聖句を引用する文化を信仰生活のなかで持っております。教会的なすぐれた個性として、神学的な正しさと共に、聖霊に導かれた神の権威によって、それぞれの御言葉(聖句)を引用できたらと願います。
そのことを教える聖句(主イエスのことば)としてマタイ13:52があります。〈そこでイエスは言われた。「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」〉。ここに出てくる〈学者〉という字は、律法学者と同じ字です。
私たちは良い律法学者、権威ある律法学者を目指しましょう。その秘訣は、祈り心で聖句にあたり、どんな難題にあっても聖霊に教えてもらおうとすることです。
一言祈ります。「愛するイエス・キリストの父なる神。聖霊に導かれた初代教会が他の手紙や書物と共に福音書を記しますが、格別にマタイ福音書は主イエスの教え(説教)を遺すことに腐心しました。48回の主日を経て、本日は山上の説教の締めの学びとなりました。あの山の上で聴いた弟子たちがそうであったように、また初代教会の聖徒たちや聖霊に導かれた世々の聖徒たちがそうであったように、私たちもまた主の説教を通して救い主である主イエスご自身を思わせてください。権威ある者として語る方、イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメン」。
