私が 教会に来た きっかけ

75才の誕生日が過ぎ、後期高齢者の仲間入り。この先はとおぼろげながら一抹の不安が過ぎる日々でした。
統一教会が日本中を騒がせていた頃、3月中旬、ポストに雑多のチラシが入っていました。キリスト教のお誘いの案内も一枚入っていました。何年か前にできた教会の存在は知っていました。普段ゴミ箱へ捨てるチラシがなぜか机に置いたままでした。キリスト教?神様?
皇大神宮の神とキリスト教の神は何か違うのか?
4月初旬、ちょっと見学に行ってみるかと教会を訪ねた。なんと簡素な建物、質素な礼拝室に唖然とした。観光で訪れたイタリア、フランスの美術館の華麗な絵画の印象と全く違った。
熱く語る牧師、静かに聞き入る信徒たち。終わって信徒たち外人さんも茶話を楽しんでいる。説教は理解できなかったが雰囲気は良かった。
帰宅後、もう一度行ってみるかと。皆さんがにこやかに新人を歓迎してくれた。そして次週、また次週と継続できた。集うことが楽しくなっていった。
アーメンの意味すら知らず、死んだキリストが蘇るなんてありえない、と思いながらも何故かもう少し知りたい、もっと学びたいと思い始めた。
いつまで続くか、また無駄な投資と思いながらも聖書の購入を決意した。日曜礼拝を続けて半年、一冊の本と出会いました。「人生を分ける日」の一節に「神様は扉の外で立って待っている。あなたが内側から扉を開けるまで待っています」と。心に響きました。
翌日、特別礼拝での朝岡先生の説教がありました。優柔不断な迷う羊たちへ「決断はいつするのですか」との語りかけが私の背中を押してくれました。
決断の時でした。
キリストの愛を信じて教会・家族の一員として信仰しようとバプテスマを決心しました。先輩からも「バプテスマは信仰の入学式だよ」と助言をいただき安堵しました。
10月初旬「喉頭ガンの再発です。全摘手術です」とバプテスマの直前に宣告され愕然となりました。
言葉が話せなくなる、希望も持てない、目の前が真っ黒になった。入院直後から手術を繰り返したにも拘わらず、主治医から「難治性手術を当院ではできない。どこかやってくれる転院先を探します。何カ月かかろうとも」。主治医から見放されショックでした。毎日為すすべもなく、三度の鼻からの栄養注入の延命措置だけでした。
涙する日々、一週間が過ぎ、二週、三週と過ぎてゆく。希望が持てずこのまま死んでいくのか?朝に昼に夜、夜中とただただ祈り続けました。「神様、助けて下さい!」涙が溢れ、居ても立っても居られない。救いの神様は現れてくれない。「神様、一刻も早く新しい病院が見つかります様に、神様、助けてください!」。
医療連携はコロナ禍で困難を極めた。時間がかかったが神様は見捨てず傍にいてくれた。やっと浦安の病院が決まり、コロナ検査確認を経て即日転院となりました。二カ月余り、死の崖っ淵から神様に救われた気持ちになりました。
二人の形成外科医による難治性手術・治療の結果、予期せぬ再手術など紆余曲折もありましたが病院スタッフのご尽力で退院となりました。この先6カ月は口から水も飲めないと言われながらも五カ月余りで無事の退院となりました。「命を有り難う!」
祈り続けた神様とご尽力頂いた病院スタッフの皆様、本当にありがとうございました。心より感謝いたしております。
それに加え長期入院中にも拘らず、牧師様、教会家族の皆々様がたの祈りと励ましが小生の大きな支えとなりました。
話せない小生へのスマホのメッセージと写真、週報と書籍の激励は神様の福音と共に生きる喜びとなりました。
退院して11カ月余、日々感謝の祈りと日曜礼拝を欠かさず続けています。これからも地上の命ある限り神様と共に歩みます。アーメン。

本人からいただいた英文原稿をDeepLで翻訳しました。
2025年6月、私たちは印西市に移住し、インターネットを通じてCNTバプテスト教会を知りました。妻が教会に連絡を取ったところ、牧師が親切に礼拝の詳細と時間を教えてくれました。最初の訪問から、私たちはCNTBCに深い帰属感と温かい雰囲気を感じました。教会は、異なる文化や国から来た新しいメンバーを歓迎し、新参者が神の愛を体験できる安全な環境を提供することにコミットしています。私たちはインド出身で、日本語の理解や自由な会話に困難を抱えていました。しかし、教会は毎週英語翻訳の礼拝と説教を提供することで、私たちをサポートしてくれました。
このプロセスの一環として、教会は通常の日本語礼拝の後、毎月英語の礼拝と祈りのセッションを開始しました。教会の多くのメンバーは、家族や個人として、教会の様々な必要に積極的に支援しています。教会の hospitality と温かさは、会衆が私たちを他のメンバーと共に様々な奉仕活動やサービスに参加するよう励ましてくれたことからも明らかです。過去1年間、CNTBCとの時間は深く充実したものでした。私たちは、メンバーの成長、団結、奉仕を目撃してきました。
私たちの家族は2025年5月に正式に教会に加入し、霊的な旅路における重要な節目となりました。家族として、主への信仰に基づき、個人としても教会内でも成長を続けたいと願っています。主が私たちを召される場所で、その導きを信頼し、意味のある貢献ができるよう祈っています。主への心からの感謝を込めて、地域の人々と共に主イエスを礼拝する多くの年を楽しみにしています。

私とキリスト教との最初の出会いは、小学6年の時に習い始めた英会話の先生が宣教師だったことがきっかでした。高校が聖書に基づいた教育を行う学校であっこと、習っていたピアノの先生がクリスチャンだったことから、10代からキリスト教に触れる機会がたくさん与えられてきましたが、大学生になると遊びやバイトに明け暮れ、教会にいかなくなってしまいました。
完璧にデザインされた地球や素晴らしい自然を見る度に、神は絶対にいるに違いないと思っていましたが、その神がイエス・キリストだということが長らくわかりませんでした。なぜなら、自分が罪人であること、イエス・キリストは私の罪のために十字架で死んでくださったとはどういうことかがわからなかったからです。
再び教会に行くきっかけになったのは、社会人3年目の冬でした。金融機関での仕事は激務で心身ともに疲れ果て、「自分の人生はこんなにつまらないものか」、「なんで生きているのだ」、と自分の人生の意味を求めはじめました。この時はお酒、夜遊び、占いなど自分の心の隙間を埋めてくれそうなものを必死に探していました。そんな時に、クリスチャンの友人が聖書を学ぶキャンプに誘ってくれました。そこで語られた聖句がエレミヤ29章11-12節でした。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
この聖句を読んで、私はイエス様が自分の神であり救い主であることを見出しました。自分は神様に選ばれ・愛され、目的があって自分は生かされていることを確信することができました。これまで何度となく聞いてきたイエス様の十字架の死が自分のためであったことがわかり、神様を無視して生きてきたことを心から悔い改めて、イエス様を信じて生きていきたいと思いました。
その後、友人の紹介で千葉ニュータウン・バプテスト教会に通うようになりました。最初に聞いた礼拝のメッセージでバプテスマを受ける決心し、2009年4月にバプテスマを受けました。私は家族でたった一人のクリスチャンでしたが、2024年10月に母が病床で信仰告白しバプテスマを受けました。母も私もこの教会でバプテスマを受けることができたことは、ただただ神様のあわれみと恵みです。クリスチャンは死んだら終わりではなく、天国で永遠に神とともに住むという素晴らしい約束と希望が与えられています。
イエス・キリストが頭である教会において、また自分が置かれている場所どこででも、いつも喜びと感謝をもって神に仕え、霊とまことによって神を礼拝し、イエス様の愛を人々に伝えるために用いられたい、ますますキリストの似姿に成長していきたいと願っています。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章5節)

私の信仰の歩み 〜試練の中で支えられた神さまの恵み〜
私はマレーシア出身で、中学 1 年生の頃から家族の影響で教会に通い始めました。中学 3年生の時、父に誘われて参加した香港の青年ミッションとの交わりの中で、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり、死んで復活されたという福音を初めて聞きました。
当時はよく分からなかったものの、高校生になり教会に通う中で、自分も神さまの前に罪ある存在であり、その罪を贖うためにイエスさまが十字架で身代わりとなり、命を捨ててくださったこと。そして復活によって新しい命と希望を与えてくださったことを知り、この恵みを信じて高校卒業と同時にバプテスマを受けました。
その後、マレーシアから台湾を経て日本に移り、信仰生活は 30 年以上になります。その歩みの中で最も大きな試練は、10 年前に夫がうつ病になったことでした。夫は心の重荷を抱え、私と小学生・中学生の子どもたちを残して家を出てしまいました。 突然の出来事に大きな不安と悲しみを感じ、夫からぶつけられる不安定な感情に私自身も疲れ果て、自己憐憫に陥って毎日涙を流して過ごしました。
そんなある日、昔知り合ったクリスチャンの友人から久しぶりに連絡をもらい、夫のことを打ち明けると、その友人が聖書の言葉を読んでくれました。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」 (エレミヤ書 29 章 11 節)
この御言葉に強く励まされ、「神さまは今も私の人生にご計画を持っておられる」と信じて、少しずつ心を立て直していきました。
夫は心に重荷を抱えながらも仕事を続けてくれていましたが、私はいつか夫が働けなくなるのではという不安もあり、パートからフルタイムの仕事に転職しました。仕事、家事、育児に追われ、心が折れそうになる日もありました。それでも夜、一人で讃美を歌い祈ると、不思議と心に平安が与えられました。毎日、夫のために祈り続けました。
母子家庭のような生活が 2 年ほど続いた頃、あるきっかけが夫を変えました。私の出張中、夫が実家で娘の描いた「家族の絵」を偶然目にし、深く心を動かされたのです。彼はようやく自分の病気と向き合い、治療を始め、少しずつ家族にも神さまにも立ち返っていきました。
その後、夫の体調は少しずつ回復し、家族との関係も修復されました。そして神さまにも立ち返るようになりました。壊れてしまった関係が癒やされ、再び家族に希望が与えられたことは、私にとって神さまが祈りに応えてくださった大きな恵みでした。
この経験を通して、私は改めてイエス・キリストの十字架の意味を深く思わされました。私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださったその愛と贖いこそが、壊れたものを回復し、絶望の中に希望をもたらす力だと確信しています。
私は千葉ニュータウンバプテスト教会に通って 1 年半になります。夫が先に導かれてこの教会に来ていましたが、私は祈りながら 1 年後、娘とともに夫の後に続いて来会しました。皆さんとの交わりや奉仕を通して「ここが次に主が備えてくださった教会」だと確信し、娘がバプテスマを受けるタイミングで私も転入を決意しました。
今は、教会で受付やプレイズチームでの賛美の奉仕をさせていただいています。また、日本語と中国語のバイブルスタディグループの実施などにも関わらせていただいています。さらに、経営しているカフェを通して、癒しと憩いの空間を提供しながら、主に用いられて福音を伝えられることを願っています。
これからも、イエス・キリストの十字架の恵みに生かされ、神さまの愛を周りの方々に届ける器として用いられることを心から願っています。
