2025年12月24日クリスマス・イブ礼拝説教「夜よりも暗く、星よりも明るい」マタイ2:1~12

夜よりも暗く、星よりも明るい     マタイ2:1-12

 お話の題を「夜よりも暗く、星よりも明るい」といたしました。夜よりも暗いのは、罪を宿した人間の心であります。また星よりも明るいのは、罪人を救うために来られたイエス・キリストという光であります。

 一言お祈りいたします。「愛する神。あなたは教会を導き、私たちにクリスマスを祝うことをよしとされました。イエス・キリストがこの世界に来られたことは、信仰の玄関であり、また奥座敷であります。どうぞ、神の真理のなかで、クリスマスを深く祝い、神の独り子を心から喜ぶ者としてください。救い主のお名前で祈ります。アーメン」。

(博士たちの探求)

 聖書のなかで、イエス・キリスト誕生をお祝いに来た人というと、ルカ福音書に出て来る羊飼たちと、本日開いておりますマタイ福音書に出て来る博士たちでありましょう。

 2:1を読みます。〈イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」〉。

 主イエスがユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、それは〈ヘロデ王の時代〉でありました。この〈ヘロデ〉は、当時、ローマ帝国から支配を委託され、権勢を誇っていました。ユリウス・カエサルの跡目を争うアントニウスとオクタビアヌス。そしてクレオパトラがエジプトの女王だったころ、このヘロデはローマの元老院からユダヤ王の称号を得て、ローマ帝国内において領土を拡張し、ユダヤにおいて独裁体制を確立しています。

 博士たちは、いきなりヘロデの宮殿に現れたのではないでしょう。聖書の神を信じるユダヤ人の、それも神を礼拝する神殿を有する都エルサレムの人々なら、当然、救い主が最近生まれたことで沸き立っているであろうと、博士たちは考えたのです。しかし、あにはからんや、エルサレムで会ったどのユダヤ人も、その場所を知りませんでした。

 博士たちは、それでも問い続けました。〈ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました〉。東から来た博士たちは〈ユダヤ人の王として〉という言い方でもわかるとおり、ユダヤ人からすれば、外国人(異邦人)でした。

 聖書から縁遠く、まことの神を信じていないはずの、異邦人の博士たちが〈その方の星が昇るのを見て〉礼拝を求めるに至ったのです。

 私たちは、この人は信仰から遠いとか、神を求めるはずがないと、他の人に対して思いがちですが、そうではありません。このときから、およそ30年後、バプテスマのヨハネという人は言いました。〈神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子(約束の救いに与る人)を起こすことができるのです〉(マタイ3:9)。

(甘言の謀略)

 博士たちがエルサレムのあちこちで〈ユダヤ人の王としてお生まれになった方〉の所在を求めるものですから、その評判はヘロデ王のところにまで伝わるようになりました。外国人の一行がエルサレムを歩き回るだけではない。学識がありそうですし、お金持ちのようですし(2:11参照)、何ならどこかの王族の雰囲気さえあったかもしれません。

 ヘロデ王は、聖書に詳しいブレーンを集めて、キリストの出生地を諮問いたします。

 ユダヤにおいては強大な権力者であり、自分の王位を脅かしそうな者をためらいなく殺す、大王の狙いは何だったのでしょう。〈ユダヤ人の王〉とはイスラエルの救い主であるメシア(ダビデの子)なので、反乱の芽を摘むという点で、ローマ帝国からの心証をよくしたいというのがあったでしょうか。

 しかし文字通り、ヘロデは自分の王位を脅かすと思ったのかもしれません。ヘロデは、晩年、自分の最愛の夫人をはじめ、多くの子どもたちを、自分の地位を脅かす疑いで、たくさんの親族を亡き者にしました。才覚も度胸もあり、運も味方して上り詰めた野心の人が、やがて猜疑心の塊となって晩節を汚す、私たちの知らない話ではありません。

 ヘロデが集めたブレーン〈民の祭司長たち、律法学者たち〉は言いました。2:6〈『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』〉。これは私たちの礼拝でも読みました。預言者ミカの5:2です。

 そして、ついにヘロデ王は、博士たちをひそかに招いて会談します。ヘロデの側は、エルサレムの近くにあるベツレヘムという町を訪ねるように言ったでしょう。博士たちからは〈星が現れた時期について詳しく聞いた〉のです。これで、救い主の年齢を知ることができます。

 老獪なヘロデは、博士たちを利用しようとしました。ヘロデは、ベツレヘムに向かう博士たちにこう言いました。2:8〈「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」〉。これは嘘でした。ヘロデは生まれた救い主を礼拝するのではなく、実は殺そうとしていたのです(2:13参照)。

 何と言ったらいいのでしょうか。このあたりの箇所だけであったら私は「謀略のクリスマス」と題を付けたいくらいです。人の心は、夜より暗いのです。平気で嘘をつけるヘロデ王の心は、暗いに違いありません。

 また聖書の箇所を教えることはできても、礼拝のために、東の博士たちといっしょに幼子を捜そうとしない〈民の祭司長たち、律法学者たち〉はどうなのでしょう。〈なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です〉(ヤコブ4:17)と聖書は言っています。

(星に導かれて)

 2:9-10〈博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ〉。

 博士たちの理性は、ヘロデ王のことばによって、ベツレヘムに向けて出発しました。ヘロデは受け売りで聖書の預言について語ったことでしょう。たとえ聖書のことばでも、それを語った人物が信用のない者であるならば、博士たちはなぜか喜べないに違いありません。その町に向かうのは正しいのですが、喜びがない、それは一体なぜなのか。

 しかし博士たちは、喜びの心で、ベツレヘムのその家に向かうことができたのです。〈すると見よ〉と聖書は言っています。もともと博士たちの旅が始まったきっかけである〈あの星〉が現れました。そして博士たちを先導し、〈ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった〉のです。

 博士たちは、異邦人であり、異教徒でした。星の占いや、偶像の神々しか知らない人々、聖書を持たない人たちでした。しかし神は特別なことをなさいました。特別な星が、博士たちをエルサレムに導き、ベツレヘムに導きました。私たちも、憧れや痛みや悲しみや喪失という星によって、教会の門にたたくときがあるのです。

 教会に先に来ている人たちは、聖書に詳しいとか、教会生活に慣れているとか、一日の長があるかもしれません。しかし大切なのは、そこではなく、聖書のことばに従って、皆さんが一歩踏み出すときに、それらの星が私たちを確実にキリストの元へ導くということです。そして私たちもまた〈この上もなく喜んだ〉という経験をすることができるのです。

 2:11-12〈それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った〉。

 博士たちは、幼子を礼拝し、贈り物をいたしました。〈黄金、乳香、没薬〉は、幼子を、王と考えている徴、神と考えている徴、十字架で死なれる方と考えている徴と見なすことができます。何より高価なものであり、生きる上で必要なものだったかもしれません。

 そして博士たちは夢を見ます。このとき、星と聖句の導きが、悪しき王の導きと切り離されます。私たちもまた、ますます、神の御心に適うために悪しき王から離れます。そのように私たちはまことの信仰者として導かれていくのです。クリスマスの光、主イエス・キリストに感謝します。

 一言祈ります。