2025年11月16日「子どもたちを来させなさい」マタイ19:13~15

子どもたちを来させなさい マタイ19:13-15

 いつもは二階で過ごしている小さなお友だちも、今日は、下に降りています。

 聖書を読むとイエス様の出てくるお話を見つけることができます。皆さんは、イエス様のことが好きですか。

 イエス様といえば、私たちの罪のために十字架にかかって死んだ方です。そして三日目によみがえった方です。イエス様は、馬小屋で生まれた神の子でした。マリヤとヨセフに育てられて大きくなりました。イエス様も、皆さんと同じように、赤ちゃんのとき、子どものとき、そして若者のときがありました。

 イエス様がたくさんの人にお話をするようになったのは30歳になってからです。そのときはたくさんの人にお話するだけでなく、病気の人の病気を治したり、5000人の人にパンと魚をごちそうしたりもしました。イエス様によって、悪霊を追い出してもらって、毎日が明るくなった人もいました。

 イエス様は、ひとつの町だけでなく、弟子たちを連れて、いろいろな町や村を訪ねました。どんな町でも、神の国の知らせを伝え、悪霊を追い出し、病気の人を治しました。イエス様をことばで攻撃する人もいましたが、言い負かされることはありませんでした。イエス様は、いつも神の聖霊に導かれ、神の知恵に満たされていました。

 あるとき、弟子が質問をしました。「イエス様が教える神の国ではだれがいちばん偉いのですか」。小学校でも中学校でも勉強をします。だれがいちばんになるか、気になります。スポーツをしても、だれがいちばんになるか、気になります。だれもが大谷みたいに活躍できるわけではありません。

 ボクが、子どものとき、子どもの世界で、こんな歌が流行っていました。「♪御山の大将、俺一人。後から来る者、突き落とせ」。これは競争の歌で、戦いの歌です。御山の大将になるには、だれよりも早く山のてっぺんに登らないといけません。大将で居続けるためには、後から来る人が山に登ってこないように、突き落とします。近くの内野団地にはプリン公園があって、プリンのようなかたちのコンクリートでできた高い山がありますが、あそこで「御山の大将」をやったらぜったい怪我人が出ると思います。

 イエス様が教えてくださり、イエス様が入れるようにしてくれた、神の国では、だれがいちばん偉いのでしょう。それは、もちろん神さまだろう。でも、神さまの下でいちばん偉いのはだれだろう、ということです。神の国でいちばん偉いのはだれでしょうか。大統領でしょうか。総理大臣でしょうか。お金持ちでしょうか。多くのファンが付いている歌手やスポーツ選手やYoutuberの人気者でしょうか。違います。

 イエス様はそのとき小さな子どもを呼び寄せて、弟子たちの真ん中に立たせました。大人に囲まれて、小さな子どもは、びっくりしたし、恐かったかもしれません。イエス様は言われました。〈まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです〉(マタイ18:3-4)。

 子どもの皆さん。大人のほうが、背も高いし、力も強いし、賢いし、お金もあって、おまけに(実は!?)優しいんです。でもイエス様は〈子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません〉と言いました。

 ふつうは、子どもが大人からたくさんのことを教わります。字の書き方も、計算も、自転車の乗り方も、大人が子どもに教わることはありません。しかし神の国に入るときには、大人が子どもを見なければならないのです。自分は子どもとどう違うのかな、ボクは大人で子どもよりも背が高いぞ、えへん。子どもよりもお金持ちだぞ、えへん。子どもよりも頭がいいぞ、えへん。子どもよりも力が強いぞ、えへん。

 しかし、その「えへん」を捨てなさいとイエス様は大人に言われているのです。そして、子どもはいま急に大人になれないでしょう。今日は小学生の○○くんが、明日起きたら大人になっていて、お父さんと同じ会社に行くことはないでしょう。△△さんが明日起きたら、ママと同じお化粧ができるでしょうか。できません。そんな簡単には大人になれません。でも、子どものままでイエス様を信じれば天国に行けます。

 また別のときに、子どもたちがだれか大人に連れられてイエス様の近くにやって来ました。イエス様に手を置いてもらってお祈りをしてもらうためです。でも弟子たちは「子どもたちなんかたいしたことない」と思ってしまって〈弟子たちは、連れて来た人たちを叱った〉のです。「イエス様はいそがしいんだ。子どもの相手はできないぞ」。

 しかしイエス様は言われました。〈子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです〉。

 大人が子どもをイエス様のところへ導きます。これは今でも大人の責任です。子どもだけではなかなかイエス様のところに辿り着くことができません。しかし、弟子たちも大人ですが、大人に間違った心が働くと、子どもたちとイエス様の間に立ちふさがるのです。とおせんぼをするのです。

 しかしイエス様は言われます。〈子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません〉。皆さん、いま日本では子どものための働きを止めてしまっている教会が多いのです。面倒くさいからではありません。子どもが来なくなって(いなくなって)諦めてしまったからです。

 私たちの教会は、自分の子どもをイエス様のところに連れて行きたいと考える家族連れが増えています。今日私は、娘と、娘が産んだばかりの孫の顔も見ていますが、今週の22日には岩手県の盛岡に引っ越してしまいます。娘の婿が、今は盛岡で働いているからです。でも盛岡にも子どもの集う教会があって感謝です。主イエスのことばをもう一度読みましょう。〈子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです〉。

 私たちの教会は、実際に子どもをイエス様のところに導くけれど、その関わりの中で子どもから物事に対する素直さや謙遜を学び、信仰にも生かしたいのです。そして子どもたちがイエス様から祝福を受けることを邪魔するのではなく、むしろ子どもたちが主の御手で祝福されるよう祈る教会でありたいと思います。

 一言祈ります。「主よ。子どもが大人から学ぶ当たり前だけでなく、大人が子どもから学べる特別な恵みに私たちがいよいよ与ることができますように。教会の心を御霊の福音によって強めてください。子どもを愛する救い主、イエス・キリストのお名前で祈ります。アーメン」。